『ブラック・ジャック』を3年かけて解析した研究者が語る──AIに、破綻のないミステリーは書けるのか?

「AI」と聞くと、どこか難しくて、とっつきにくい印象を抱く人も多いかもしれません。けれど今や、AIは私たちの日常のさまざまな分野で活用されています。
そこで今回は「AI x 物語」に注目。公立はこだて未来大学でAIによる物語生成を研究している、村井源教授に、こんな質問をぶつけてみました。
「AIは、一流のミステリー小説を書けるんですか?」
ChatGPTをはじめとする対話型生成AIは、いまや人間が書いたかのような自然な文章を生み出せるようになってきました。こうしたAIは、特定のテーマに関する情報を要約・整理するのは得意ですが、人の心を動かす物語を生み出すことも可能なのでしょうか。
今回は、村井教授にAIによる物語生成の現在地、そしてその限界と可能性について伺いました。
目次
今の生成AIは“感情をわかったふり”しているだけ?
──まずはじめに、AIによる物語生成を研究するようになった経緯を教えてください。
村井源教授(以下、村井):もともと私は、AIに“深い意味解釈”をさせることを目指して研究を始めました。ここで言う「深い意味解釈」とは、文字として明示されていない作者の意図や背景を、文脈から読み取るような理解のことです。
たとえば、文学作品や聖書のようなテキストに対して、「なぜこう書いたのか」「そこに込められた意図は何か」といった問いを立てて考えるようなものですね。
私がこの研究に取り組み始めた20年ほど前は、AIの分野でこうしたアプローチはほとんどなく、むしろ聖書解釈などの文系分野で扱われていました。
その「深い意味」をAIに読み取らせるには、物語が非常に良い題材だと考えました。そこで、まずはAIによる物語理解から研究をスタートさせたんです。
──現在の生成AIは、物語に込められた意図や感情を理解できるようになったのでしょうか?
村井:現在の生成AIは、大量のテキストデータを学習し、それと似た文章を参照しながら情報を処理しているに過ぎません。
表面的には、まるで感情を理解しているかのような文章を出力しますが、実際には「感情について書かれた似た文章」を、表現を変えて引用しているだけです。人間のように感情を“理解”しているわけではありません。
また、最新の生成AIに物語をつくらせても、どこかで見たような印象に残らない作品しか出てこないのが実情です。一流の作家が描く物語には、読者の心を揺さぶる「しかけ」や「意外性」がありますが、現在のAIにはそうしたしかけを仕込むことはできません。
なぜなら、人間がどんなときに驚き、感情が動かされるのか——その構造自体を、AIは学習していないからです。
──AIは、人間が感動するメカニズムを学習できるのでしょうか?
村井:結論から言えば、お金をかければ可能だと思います。たとえば「ある物語を読んだとき、人はこういう感情を抱く」といった、物語と感情の対応関係を学習させれば、感情を揺さぶるAIの開発は技術的には可能です。
ただし、物語に対する感じ方は人それぞれ異なるため、多様な感情の動きに対応できるAIをつくるには、大規模で多様な学習データが必要になります。そのためには、当然ながらかなりの費用とリソースがかかります。
ブラック・ジャック全話を人の手で“読み解く”。10人3年の物語構造分析
──村井教授は、AIと人間のコラボレーションでブラック・ジャックの新作を創作する「TEZUKA2023」プロジェクトに参加され、物語の分析と生成を担当されていました。物語分析の視点から見たとき、ブラック・ジャックという作品にはどんな特徴があるのでしょうか?
村井:ブラック・ジャックは、人間の弱さや脆さ、そしてその裏返しとしての「命のかけがえのなさ」を描いた作品です。
ただし、ブラック・ジャックは決して“無敵のヒーロー”ではありません。失敗し、後悔もします。ブラック・ジャックでさえ救えない命がある。その事実があるからこそ、命の深遠さや重みが、よりリアルに伝わるのだと思います。
──村井教授が研究されているAIによる物語生成では、既存の物語を構造的に分析し、その構造をAIに学習させるアプローチを採用されています。こうした物語構造の分析は、どのように行っているのでしょうか?
村井:物語構造分析は自動化が難しいため、基本的には手作業で行っています。
まず、物語をいくつかの単位に分割し、それぞれを記号に置き換える作業から始めます。この「記号化」ができれば、物語をコンピュータでパターンとして解析することが可能になりますが、記号に変換するまでの作業は、いまのところ人間にしかできません。
実際の記号化は、トレーニングを受けた熟練者が担当し、作業後には内容の確認も行っています。たとえば『ブラック・ジャック』全話の物語構造を分析する際には、研究室のメンバー10人ほどで取り組み、完成までにおよそ3年かかりました。
──2024年の人工知能学会では、物語構造分析の対象を『ブラック・ジャック』全話から、冒険譚など5つのカテゴリーを代表する人気漫画へと拡張した研究成果が発表されています。発表資料によると、冒険譚だけでも約300話が分析対象になっていましたが、この物語構造分析にはどのくらいの時間をかけたのでしょうか?
村井:たとえば『NARUTO』は全話を扱ったわけではなく、ランダムに抽出したエピソードを分析しましたが、それでも作業には5年ほどかかっています。
画像出典:村井源教授提供2024年人工知能学会発表資料
画像出典:村井源教授提供2024年人工知能学会発表資料
物語構造分析は社会実装できるか?著作権と現場での壁
──これまでに作成された物語構造分析のデータは、オープンソースとして公開できないのでしょうか?
村井:物語構造分析のデータには、物語のラストシーンを記号化したものも含まれています。つまり、記号化されているとはいえ、ネタバレを含む内容になっているんです。実際、ネタバレをめぐって裁判に発展した事例もあるため、リスクを避ける意味で、現在はオープンソース化していません。
とはいえ、データ公開を求める声があるのも事実です。記号化されたネタバレが法律的に問題ないと明確になれば、将来的にオープンソースとして公開することも検討したいと思っています。
──物語構造分析は、マーケティング目的での漫画制作などにも応用できそうですが、実用化や事業化といった話はあるのでしょうか?
村井:最近は、大学の研究室から生まれたスタートアップにも注目が集まっている時代なので、そうした話は検討しています。ただし、物語構造分析を活用する際は、どんなマーケティング対象に向けて、どのような物語を作るかによって、分析の進め方が大きく変わってきます。
基本の方法論は共通ですが、用途ごとに新たなデータセットを構築する必要があるため、実際に活用するには手間も時間もかかるというのが正直なところです。
──物語構造分析を活用して、物語制作を支援するようなツールを開発する予定はないのでしょうか?
村井:「そういうツールを開発しませんか?」という話は、これまでにも何度かいただいています。たとえば、手塚プロのように著作権を保有している側が主体となって、ブラック・ジャックのようなストーリーを生成するツールを開発するのであれば、著作権上の問題は起こりません。
しかし、著作権を持っていない第三者が同様のツールを開発しようとすると、権利の問題が発生します。この点については、法律的な整理がまだ追いついておらず、実現に向けては慎重な対応が必要だと考えています。
果たして、生成AIは複雑なミステリーを破綻なく構成できるのか?
──物語構造を学習したAIは、複雑なトリックのあるミステリーも書けるのでしょうか?
村井:ある程度は生成できますが、たとえばChatGPTのような対話型の生成AIを使うと、筋の通らない物語になってしまう可能性があります。
というのも、現在の対話型AIは、確率的に「次に来そうな文章」を出力していく仕組みのため、物語全体としての論理的な一貫性が破綻してしまうことがあるからです。
ミステリーのように、トリックを破綻なく構成するには、実は古典的な言語AIの手法である「記号論理(※)」を使う方が適しているのではないかと考えています。
(※)記号論理とは、推論を記号で表し、論理的なつながりを厳密に扱う手法のこと。例えば「犬ならば四つ足である」という関係を、「A(犬)→B(四つ足)」のように記号で表す。命題間の関係に注目する手法であり、個々の内容そのものを解釈するものではない。
──村井教授のお話を伺っていると、現状の生成AIでは典型的な物語しか生成できないようにも思えます。生成AIが、より個性的な物語を生み出す可能性はあるのでしょうか?
村井:典型的なパターンからあえて外れた、意外性や面白さのある物語を生成するのは、現時点では難しいと思います。
たとえば物語生成に乱数を組み込むことで、平均的なパターンから外れることは可能ですが、そうすると今度は物語全体の一貫性が失われてしまうリスクがあるんです。
──最後に、今後の展望やこれから取り組みたい研究について教えてください。
村井:平均的な日本人が、どのような物語を「面白い」と感じるのか。そうした感覚を、科学的かつ明示的な知識として示せるように、これからも物語構造のデータセットを地道に作り続けていきたいと思っています。
物語構造のデータセットが整備されれば、例えば人気の漫画がなぜ面白いのかを客観的に説明できるようになると思います。このように物語構造研究は、漫画家をはじめとする物語に関わるクリエイターの方々に役立つものになるはずです。
記事執筆:吉本幸記
編集:中田順子